2018年 11月 04日 ( 1 )

私自身の心と感情-2

父の死 自死遺族となった日

1981年12月3日、

私が17歳のときに

父は電車に飛び込み、

自死しました。


その前日まで元気だった父が

一瞬にしていなくなりました。


それを聞いたときは

一瞬「えっ、なに?」という感じで、

信じられませんでした。

受け入れることが全くできなかったのです。

父はまだ48歳。

「死」なんか考えてみたこともありませんでした。



父は長い間、鬱病を患っていました。

しかし、その頃はずっと調子が良かったので、

家族は皆その理由がわかりませんでした。

私はわかっていましたが、

何も言えませんでした。



自死遺族というものは、

誰にも何も言うことができません。

誰にも知られたくないのです。

自分の身内が自死したという事実を。



心の中にたくさんの思いがつまっていますが、

それを外に出すことができないつらさ。

家族の間でさえ、出すことができません。

心のもっていきようがないのです。

想像を絶するつらい思いをして、

そして、その思いを外に出すことができない。

これほどつらいことはありません。



私は見ていないのですが、

父のことは新聞に載ったようです。

それからは猜疑心で心はいっぱいです。

「この人は知っているのに、

 気を使って知らないふりをしてくれている」

「なぜ黙っているのだろう」

知っている方も、言葉にできないことを知っています。

聞いてはいけないこと、傷つけてはいけないこと。

全て知っている人が黙っていてくれるのです。



そのほうがありがたいのですが、

それがまた心をえぐってきます。

とても矛盾したことです。

知ってほしくない、言わないでくれる、

イコールで結ばれることです。

しかし、心が矛盾を起こします。

「知っているなら、言ってくれ」



自分の中には、

自死遺族は恥と思ってしまう部分が

明らかにありました。

この静けさはそんな自分にとって

とてもありがたい環境でした。

自分の中で、父の自死は

徹底的に否定されています。

無意識が勝手にそうしているのだろうと思います。

絶対に事実として認めたくない、

意識的にもそうだったかもしれません。


完全に欠落しています。心のどこかが。

その心を持ちながら登校し、

家に戻り、一人になります。

何もかも止まってくれればいい、

自分が消えてしまえばいい、

時間が動いても、

気持ちは全く動きませんでした。

何をどうしていいのかが

全く分かりませんでした。

することなどすでにないのに。

話すことも、聴くことも、何もない状態でした。



これ以上母を悲しませないように、

学校へは行きました。

しかし、学校に行くのも、

心は家に置いていく感じでした。



精神的な、心の不登校です。

学校に行っても、誰とも話さず、

父のことだけを考え、

ひたすら下校時間を待っている

自分がいました。


Sere.C.R.


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by nocotoco | 2018-11-04 05:39 | 私自身のこと | Comments(0)


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