カテゴリ:私自身のこと( 17 )

不登校・ひきこもり 私なりの解釈

これまで長々と

自分のことを書いてきましたが、

これまでのことを振り返って、

自分にとって、

人とは違う死生感のようなものが

あると思っています。



父の自死によって

高校のときは精神的に

人と交わることなく、

大学のときは高校からの反動なのか、

好き勝手なことをし、

社会人ではうつになり

ひきこもりになり、

その後もうつと付き合いながら、

いろいろな本を読み、

自分なりの方法で、

やっと自分に戻ったような

気がしています。



「死」に対する考えには、

人とは違うものがあると思っています。

自分にとってとても

身近にある気がしています。

隣にあるような、そんな感じです。

自殺念慮などは全くありませんが、

いつでも「死」は近くにいます。

それが自分のことでも、

「そういうものだったんだな」

そう感じながら

逝ってしまう気がしています。

自分の経験から、

不登校・ひきこもりを

自分なりの解釈で書いていくところも

あると思いますので、

予めご了承ください。

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by nocotoco | 2018-11-19 06:16 | 私自身のこと | Comments(0)

私の心と感情-16 今の私

「自死遺族」、嫌でたまらなかった言葉が、

今はどうでもいいものになってきています。

もっと早く父親と話をしていればよかったと思います。

自死してすぐには無理でも、時間をかけて。

自死を真正面から向き合い、

自死は仕方がないことだ、

私たちのことを苦しめるために

していることではない、

一番つらいのは自死した本人だ。



そのような考えに早く行ければよかったと思っています。

人に父のことを言うときは「交通事故死」と言っています。

それでいいと思っています。

これからもそう言うでしょう。

自死してから家族の感情が

ひと段落するのに1年かかるそうです。

1年が過ぎたら、進んで自死の本人と

会話してみて下さい。

つらいことはわかっています。

自責の念、怒り、

そういうものはなくならないかもしれませんが、

対話することで、語りかけることによって

息をすることができると思います。



私のように長い時間をかけることなく。

いろいろな人がいて、いろいろなことがあって、

その中でも、自死遺族は特別な存在だと今でも思います。

でも、長い年月をかけて、いろいろな経験をし、

いろいろな考えを持ち、

結果として、深いところまで

考えができるようになったと思います。

今でも、すっきりとはしていませんが、

少しは気が軽くなっています。

父が近くにいるという思いに

変化をしたからです。



自死遺族として苦しみの中に埋没し、

身動きが取れないでいた時

そんな中で、自分の記憶をたどり、

父がどういうことを言っていたのか、

どんなことをしていたのか、

思い出してみようと思います。



今は、父がいなくなる前のことは

ほとんど覚えていません。

高校のときに、警察にお世話になったことがあり、

保護者引き取りということで、

自宅まで警察の方が私を引き渡しに来ました。

対応してくれたのが父でした。

父は表情を変えずに、うなずくだけでした。



また、静岡でバイク事故を起こし、

バイクが曲がり動かなくなった時、

東京からトラックで迎えに来てくれたのが父でした。

やはりその時も何も言いませんでした。

記憶の中ではそうなっています。

もしかしたら、話をしていたのかもしれません。

しかし、記憶には父の声は全くありません。



父の死後、一晩中繁華街で遊んでいて補導されたとき、

母は泣きながらものすごい勢いで怒っていました。

父の死後のことはしっかり覚えています。

しかし、死の前のことは

全くといっていいほど覚えていないのです。

いまでも、「話があるんだけど」の時間に

戻りたいと思っています。

いや、もっと前に父がジョギングに誘ってくれた時に。

いや、もっと前、中学生のころ、

14歳のころに戻りたいという気持ちが強くあります。

父の病気を理解することができると思います。

そして、父と言葉を

もっとたくさん交わすことができると思います。



学校での話をし、仕事の話をし、勉強の話をし

高校進学について相談したり、

そのあとの大学はどこがいいなどの話をし、

父と自分の未来についても

話すことができたのかもしれません。



たくさんの話をして、

父の気持ちを確認しておけばよかったと思っています。

思えば思うほど、

戻りたい時間が過去へ向かっていきます。

父の記憶はほとんどありませんが

家族の中では口数が少ないほうだったように思います。

そうであったならば、自分からどんどん、

話しかけていけばよかったと思っています。



父は中学を卒業すると、

故郷を離れ、一人で都会に出てきて、

何年もかかって仕事を覚え、

裸一貫から自分の会社を作ってきた、

母からと聞いています。



もっとたくさん話をしておけばよかった。

何を考えて仕事をしているのか、

どういうところが面白いのか、

何故その仕事に就くことになったのか、

いつ頃から、独立を考えたのか、

独立したときは不安はなかったのか、

独立がうまくいったときはどういう気持ちだったのか・・・



これからは少しずつ

思い出していこうと思っています。

とてもつらい作業になるかもしれません。

長く長く、いつ終わるともわからず、

とても苦しい時間が流れていくのかもしれません。

しかし、いつかは、少し、ほんの少し

気持ちが落ち着くときが来ると思っています。

今は心の中に無言の父がいます。

少しでも早く多くのことを

話すことができるようになりたいと思っています。

それを積み重ねて、

父との関係を新しく持ちたいと思っています。

Sere.C.R.




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by nocotoco | 2018-11-18 05:51 | 私自身のこと | Comments(0)

私の心と感情-15 喪の作業

「喪の作業」という考え方があります。

精神分析家のフロイトが唱え、

その後ボウルヴィという人が細分化したそうです。

喪失体験をしたときの人間の心理について、

あるプロセスをたどると考えたそうです。

その段階とは次の通りです。



1.無感覚の段階―直後から1週間ほど

激しい衝撃に呆然とし、

ショックを受けている状態。

喪失を知り、激しい衝撃による

ショック状態で感覚がマヒします。

「急性ストレス反応」の一種で

、直後から1週間ほど続くとされています。

事実を受け止められず、

呆然としたり、無感覚になったり、

混乱してパニックを起こすなど、

激しい情緒不安定になることがあります。



2.否認・抗議の段階

対象喪失を認めようとせず、

認めさせようとするものに抗議する状態。

失った事実を認めようとせず深い悲嘆と

強い愛着に苦しむときです。

「もうその人はいないんだよ」と、

喪失を認めさせようとする者に対して、

怒りや敵意を覚えます。

自分を置いてなぜ逝ったのかという、

やり場のない空しさや怒り、

後悔や、罪悪感、自責の念にさいなまれたりします。

その他には、まだ存在していると錯覚して、

実生活でもそのようにふるまったり、探し求めたり

空想の中で関係を取り戻そうとすることがあります。



3.絶望・失意の段階

激しい失意、不安、抑うつといった心理的反応が現れる状態。

怒る人、無感動になる人、宗教にはまる人

事実を受け入れ、失ったことが

決定的だと認識し、断念します。

もはや何をしてもダメだ・・・と絶望し、

無気力になります。

愛情を持つことで支えられていた気持ちが壊

失意や抑うつに支配されます。

孤独感にさいなまれながらも、

人との交流を避けたり、

引きこもったりすることがあります。



4.離脱・再建の段階

喪失を受け止め、事実と折り合いをつける状態。

だんだんと感情が穏やかになり、

現実に直面しようとします。

自死遺族の困難な喪の作業を

わずかでも促進する可能性は、

自死者との対話的な関係を

再び取り戻すことにあります。

亡くなったことに対しても、

肯定的に物事を受け止め始めます。

新たな環境や人との関わりの中で、

希望を見つけ出そうとします。

生活を立て直し、新しい自分に向けて歩き始めながら、

立ち直っていくときです。

人を亡くした深い悲しみは、

どんな好事があろうとも、

すぐに消えはしません。

喪の仕事の最中は、各段階が複雑に行き来し、

心が揺れながら進んで行くものです。

時が解決する・・・それも確かにあるでしょうが、

良かれと思って無理に頑張ってしまえば、

時の効果が逆効果になり、

傷口を深めることにもなります。

大事なことは、励ましや、助言ではないのです。

心に寄り添い、十分に悲しめる環境を作ることです。

そうした結果、亡くした人への穏やかな愛おしさが、

新たな支えになることがあります。

もし、人前で泣きたくない、

気を使わせたくないと思うなら、

なおさら、一人のときに、湧き上がる悲嘆を抑えず、

思いっきり悲しみ尽くすことです。

それは、大切な再生のプロセスなのです。



私は、離脱・再建の段階までに35年かかりました。

絶望・失意の段階の時間が、

とてつもなく長かったことによるものだと思っています。

自分の責任という重さを背負いながら、

歩いてきたので。

そして、ずっと父の自死について

目を背けていたからだと思います。

父の自死から35年。

ようやく父と話ができるようになりました。

それまでは、忘れよう忘れようと必死でした。

しかし、今は、積極的に話をしに行っています。

「こういう時はどうすればいい?」

「今日はこれから○○の打ち合わせなんだ。

うまくいくように見ていてくれ」

今は仕事のことばかりですが、

これからは会話の幅が広がってくると思います。


Sere.C.R.




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by nocotoco | 2018-11-17 04:34 | 私自身のこと | Comments(0)

私の心と感情-14 再び一うつの長い時間・転職

最善の道と思っての転職も、

うまくいきそうもないことに少しずつ

気が付いてくるようになりました。

自分の意志の通りに時間が

流れることがないのです。



初めの仕事は10年間勤めました。

次の仕事は5年。

どんどん短くなっていました。

ただ単に時間が流れている感じです

私の時間ではないような流れです。

今にして思えば、いろいろなことが

父の生前の影響を受けていたように思います。

父は頑張っては病気になり、

頑張っては病気になりの繰り返しでした。



せっかく頑張っても、それが報われない、

最後には去って行ってしまう。

それが関係しているように、

自分から進んで行き、自分で終わらせる。

そんなことが若いころからありました。

女性と付き合っても、離れていかれるのが怖くて、

自分から離れてしまう。学校もそうです。

頑張って頑張って大学院まで行ったのに

、簡単なことで中退しましたし、

職に就いてからもそうです。

好きで入った職場も途中で終わり。

自分から離れています。



病気が関係しているにしても、

いつも原因は自分にあります。

失うことが怖くなってしまっていて、

自分から壊していくことを

繰り返してしまっていました。



そして、遅れてやってきたものがありました。

兄のうつです。兄も重篤なうつに

なってしまっていたのです。

いつも存在のない兄が、

今度は大きな存在となって目の前にいます。

そんな兄から言われたことがありました。

「お前のせいで俺は鬱になったんだ」

何も言い返せませんでした。

みんなそう思っているんだと、

そう思いました。

それからは、兄は入退院を繰り返しました。

家族がどんどん壊れていくようでした。

早くよくならないと、

という焦りのような感情がありました。



最期の選択は、自分で起業をすることです。

自分の体の様子を見ながら、仕事を進めていく、

そういう働き方がいいのだろうと思いました。

それ以外にはないのではないかと思いました。

医者からもらった薬を飲んでも効き目はなく、

量がどんどん増えていくばかり。

治療者への不信が高まるばかりでした。



過去に問題があるのだから

心を見てもらえばいいと考え、

いろいろなところに行きました。

精神療法、催眠療法、どれも効果がなく

ただただ時間が経っていくだけです。

戻らない心、変わらない過去。



テレビへの反応も過剰になり、

「なんて軽すぎる死の扱い方なんだ」と怒り、

再び人とかわす言葉を失い、

動かない頭、自分が信じられない自分。

結局何も変わっていなかったのです。

そんな簡単なものではなかったのです。

処方箋だけを書く医者から離れたいと思い、

ほかの病院へ通うことにしました。



そこで出た診断名は

「双極性感情障害」というものでした。

うつと診断されてから、

ずっと、ひたすら心理臨床関係の本を読み、

自分なりに対応してきました。

ささやかな知識ではありますが、

心が苦しくなった時の対処法は覚えてきました。

心理技法の中で自分に合うものを

見つけることができたので、

少しは楽になっています。



心がきつくなった時は、

まずは空を見上げています。

部屋の中にいるときも上を見ます。

それだけで少しは心が軽くなります。

ほんの少しですが。



それに加えて技法を

自分に対して行っています。

自分にとって少しの安心感です。

しっかりとお医者さんにも通っています。



そこのお医者さんは

じっくりと話を聞いてくれます。

それ以外にもカウンセラーの方が

常駐しており、話を聞いてくれます。

これまでのことを全て話をしています。



カウンセラーの先生は

「なぜそれまでの体験をしてきて、

 誰かに話そうとしないのですか?

 何故すべてを自分の心の中に

 収めてしまうのですか?

 ○○さんはどこで息を

 吸っているのですか?」



「あなたが思っていることは

 何の根拠もないことで、
 
 すべて自分で作り上げていることですよ。
 
 ちゃんと深呼吸してくださいね」

そういわれて少し、心が軽くなりました。

それに加え、自分で覚えた心理療法

少しずつ、前に進むことができている感じがします。



今思えば、父も双極性だったように思います。

これまでを振り返ると、

父と同じ道をたどってきたような

気がしてなりません。

建築を目指して勉強し、

職業として選び、入院し、

そして双極性感情障害。

どれも父と同じです。



なぜだろうか、あんなにも苦しみ、

ときに憎くさえ思っていたのに。

答えの得られない、

終わりのない「なぜ」が続いていたのに。

自らの手で自らの命を絶つ

という方法で去っていった父。



そこに至るのには、想像を絶する心痛や閉塞感。

最期のときにも気持ちの余裕のなさから、

不本意なやり取りや、

すれ違いが起こることがあると思います。

二度と取り返すことのできない命を

自ら断ってしまうという行為は、

私にとって極めて複雑でありながら、

自分の体験から、少しは理解できるようになりました。

とてもつらいしこりを残して。



突然で、一方的なコミュニケーションの中断です。

いろいろなことを思いながらも、言葉にしないで、

とりあえず目の前にあることを

淡々とこなしていくだけになります。

それしか自分にはできないのです。

しかし、これからは自分の意思で

前に進んで行けるような気がしています。

人の言葉を聞いて、

その人に対して何かを言うことができれば、

自分のこれまでの時間が

生かされるのではないかと思っています。






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by nocotoco | 2018-11-16 04:17 | 私自身のこと | Comments(0)

私の心と感情-13 再び一人の時間へ

3か月の入院をして、また、自宅療養です。

半年の自宅療養をして、

そして、決意しました。

「今の職は自分にはハード過ぎたんだ。

 別の道を歩こう」と。

それまでの仕事では

常にオーバーワークをしていました。



じっくりと、これからのことを

考えようとしているときに、

妻から「別居してほしい」

という言葉が出ました。

「えっ」。

その言葉の意味が分かりませんでした。



せっかく退院して、

これからは一緒に入れる

時間を増やそうと思った矢先です。



理由は仕事の仕方、家庭を顧みないこと、

その結果体を壊したことでした。

共働きで、妻も仕事に関して本気で

取り組んでいる人でした。

入院することで、負担がすべて自分に

降りかかってきたのが理由みたいです。


これから違う職に就いて、

落ち着いた生活をしようと

思っていることを告げたのですが、

答えは変わりませんでした。

深い話もすることができず、

結局、別居を2年して離婚になりました。

そして、一人の時間が始まりました。



誰とも話すことなく、

じっと家で静かにしている。

一人のひきこもりの時間が始まりました。

何をすることもなく、

一日ぼーっとしていました。



父親を越してしまったのか、

そういう思いでした。

一人になると考えたくないものが

次々と心に浮かんできます。

どうやって、時間を使っていいのか、

どうやって時間をつぶせばいいのか、

全く分かりませんでした。



まずは体のことを考えて、

次の仕事のことを考えなければいけない、

そういう状態でした。



そんな時に友人から連絡があり、

専門学校で講師を募集しているよ、

と教えてくれました。

生徒に専門を教えることは、

根拠はないのですが、

できる気がしました。

そして、就業の終わりが

決まっているだろうから、

体への負担も少なくて済む、

そう考えてその道に行こうと考えました。



そして、その次の年に仕事場を変えました。

体と頭に無理のない仕事場へ。

仕事場からの離別です。

今度は何もせず、じっとして、

何も考えないようにしようと決めました。



しかし、結局それは無理なことでした。

父はすぐそばにいました。

新しい職場でも、中途で入ったので、

他の先生たちよりも

年を重ねているため、新人の研修担当、

初年度からクラス担任、部活の顧問、

様々な仕事がやってきました。



以前よりは、仕事の量は減りましたが、

人との関係、担任と学生、

夜間学生の授業、夜間の高等課程の授業、

など、初年度からやることがたくさんありました。

これまでよりも人とのつながり、

つまり、学生との関係が

強くなることになりました。

様々な授業を担当することになり、

関係する学生の数は500人近くにまで増えてきました。



父と違う道を進んで行きたいために職を変えたのに、

またしても負荷が重くのしかかってきます。

新しい職について4年目のときに、

再び体調を悪くしました。

以前と同じです。頭が動かない、

体が言うことをきかない。

眠れない、それでも休むわけにはいきません。

再び、病院に通うことになりました。



言われることは一緒です

「少しゆっくりとしてください」

ほとんどすべての仕事はゆっくりとは

できないものだと思っていました。

「また、同じことが起こるのか」


Sere.C.R.




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by nocotoco | 2018-11-15 03:50 | 私自身のこと | Comments(0)

私の心と感情-12 別の時間

別の時間

自宅にいても落ち着きません。

皆が働いているのに自分だけ休んでいる。

罪を持っている者が休んでいる。

誰とも話すことはなく、

誰にも会わない。

家の中だけのコミュニケーションです。

ひきこもりになった感じです。



妻は働いていたので、

家のことは何でもしました。

子どもの面倒、食事の用意、掃除、洗濯、

そして、子どものおもちゃに

なるようなものを自分で作ろうと、

部品を買ってきて組み立てたり。



何か働いていないといけない。

会社は休んでいるけれど、

本当に休んではいけない、

そういう気持ちでした。



家にいても疲れがたまるばかりで、

どんどん鬱は良くない方向に進んで行きます。

「もう疲れました」

医者にそのことを継げました。



すぐさま、「入院して様子を見ましょう。

ベッドが空き次第入院してください」

初めての入院です。また、父と同じになりました。

再び、恐ろしさが浮かんできました。

仕事、自宅での静養、入院。



これが今後も繰り返していくのかと

不安でしようがありませんでした。

父から私へ、そして自分の子どもにも続いていくのか。

不安が不安をどんどん膨らませていきます。

何の意味もない時間が流れているだけでした。

つらいだけの時間が。

この時も頭にある言葉は「なぜ」です。



仕事をもっとしたい、

やりたいことがあるのに、頑張れない。

頑張りたいのに、頑張れない。

どん底にいる感じをいつも持っていました。



「入院」という言葉は、

それに追い打ちをかけてきます。

すべての力が抜け、

立っているのもやっとといった感じです。

大学に入ってから、

これまで頑張ってきたことが

すべて崩れ落ちていく感じです。



逃げているようなので

入院だけは否定していましたが、

入院してみると、そこには別の時間が流れ、

別の世界が広がっていました。

知っている人が誰もいない、

話すこともない、静かで、

世界から隔離された場所。

朝早く起き、起床の時間まで、

ぼーっとしていて、

とても心地よい時間でした。



起床時間になると、

まだ誰もいない、廊下を歩き

コーヒーを買いに行き、

戻ってくる。そして、タバコを吸う。

完全に一人だけの世界。

父のすぐそばにいるような感覚。



このころから父に対する考えに

変化が起こり始めていました。

「父は初めからいなかった」ような感覚が

更に強くなっていたのです。

自分の罪をなくすような心の動きなのか。

最初からいなかった、何事もなかった。

そう心が動いていきました。

しかし、心の奥深くでは罪の意識があり、

フラッシュバックが起こります。



ひたすら父のことを忘れようとしましたが、

やはり、心のどこかに

それは許されないことだ

という感情があるようでした。

退院しても同じことの繰り返しです。

決して父からは逃れられない、

罪はなくならない、

そういう感情をいつも持っていました。

Sere.C.R.




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by nocotoco | 2018-11-14 05:49 | 私自身のこと | Comments(0)

私自身の心と感情-11 うつ病

朝、満員電車に乗っていると、

突然理由もなく、動悸やめまい、

発汗、窒息感、吐き気、

手足の震えといった発作を起こし、

そのために生活に支障が出ている状態です。

死んでしまうのではないかと思うほど強くて、

自分ではコントロールできないと感じます。



電車に乗るのが怖くなり

通勤電車が苦痛になってきました。

乗っていられなくなりました。

精神的にきつくなってくると

大量の汗をかくようになり、

途中で電車を降り、

落ち着くのを待ったり、

人があまり乗っていない

各駅停車の電車に乗り換えたりして、

やっと、会社につくという感じでした。



今思えばパニック障害、不安障害だったのでしょう。

朝どうしても起きれない、

電車は各駅停車に乗ったり降りたり、

定時を過ぎて会社へ着くことが度々ありました。



そのころから、常に身体が疲れている感じで、

仕事では頭が回らなくなり、

身体のいろいろなところに不調が出てきました。

会社では一人孤立しているような状態。

会社も休みがちになりました。



所長から「少し休め、そして病院に行ってこい」と言われ、

初めて病院へ行きました。

「うつ病ですね。休職してください。診断書いておきますね」

「終わった」そう思いました。



父と同じ道を歩いていることを感じました。

あとは鬱の繰り返しと、死が残っているだけです。

もう限界だと思い、

医者の言う通り休職させてもらいました。



その時初めて「うつ」という病気を知りました。

なぜ、今頃知ることになったのだろうか。

もっと前に、父が入退院を

繰り返しているときに知っていれば、

何か自分ですることがあったのではないかと、

心に強烈に刺さりました。



結局父と同じ道を歩いていることが

怖くて仕方がありませんでした。

休職してすぐに、本をたくさん購入し、

働かない頭で一生懸命、

何冊も「うつ」に関する本を読みました。



「うつ」は繰り返すこと、

希死念慮が出ることがあること、

ただただ、心と体を休むことなどが書かれていました。

これまで見てきた父のことが書いてありました。

ずっと父を見てきて、

その姿と自分が一致した感じです。

この時には、自分でも不思議なくらい冷静になって、

「自分の今を受け入れるしかないのか」と思いました。





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by nocotoco | 2018-11-13 06:27 | 私自身のこと | Comments(0)

私自身の心と感情-10 身体の不調

高校最後の年

自宅で黙々とかなりの時間勉強はしていました。

父のことを思い出さないように、

学校から帰ってきてから、

1日10時間ほど勉強しました。

大学受験をして、また精神的に

1からやり直そうと思いました。

受験をし合格しました。



父に対する思う心をずっと引きずりながら、

学校では一人ひきこもり、

何に対しても興味を持てない

1年半そのような状態が続き、

高校を卒業しました。



高校のときと同じような感情、

意味のない友人たちの会話、

くだらない何時間も行われる授業、

クラスの持っている嫌な雰囲気。

それが大学でもあるのではないだろうか、

ついそんなことを思ってしまいます。

そして、本当の物理的な不登校に

なってしまうのではないかという思い。



大学のときはアパートを借り、

一人での生活でしたから、

行かなくても誰にも何も言われない,

追ういう思いがありました、

しかし、少しは思いが落ち着いたのか、

授業はしっかりと受け、

試験もしっかりと受けていました。

まだ母親の気持ちのことが

気になったからかもしれません。



しかし、だんだんと父の記憶は消えていきました。

大学中に感じたことは

「父はもともといなかった」というものです。

本当に実感としてそう思うようになりました。

それからは少しずつ普通の生活になっていきました。




普通に大学に通い、友人と普通に会話をし、

淡々と毎日をこなしていました。

しかし、まだ心の中には、わだかまりがありました。



身体の不調

自分の生活のことといえば、大学で建築を専攻し、

気が付くと父のあとを追いかけていました。

大学院へ進みましたが、論文が認められず、

大学院を中退するという選択をしました。



しかし、就職先から「それは気にしなくていい」

という言葉をいただき、

設計事務所に入ることができました。



やはり父との約束であった「自分が跡を継ぐよ」

というコースからはみ出すことはできていなかったのです。

死ぬほど働きました。

父に謝罪しているかのように

朝から夜中まで、休日なしで。

そのうち、だんだんと頭が働かなくなりました。

体もいろいろな場所が痛くなってきました。

心と体が解離しているような感じです。

父のことはしょっちゅう思い出します。

しかし、感情がまひして、悲しめなくなっていました。

「もう疲れた」

「一人になりたい」

「消えてしまいたい」

そう考えるようになっていました。



そのころ私は仕事で車を使って

移動していたのですが、

対向車線にはみ出してみようか、

と思うことが何度もありました。



「死ぬ」ということが

とても身近なものになってしまっていました。

自分のことを考えると「死ぬ」、

父のことを考えると「生きる」。

その二つの感情がぶつかり合っていました。

つらさに心が凍りつくような感じです。

そんな時にも、突然の悲しみが襲ってきます、父のこと。



責任、罪の浮上です。自己否定、自己評価の欠落。

不安といらだち、不眠、脱力感、無力感、動かない頭、

距離をとる、話せない、罰。

再び、父が心に現れ、私を苦しめます。


Sere.C.R.
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by nocotoco | 2018-11-12 04:46 | 私自身のこと | Comments(0)

私自身の心と感情-9 PTSD

それから生活は一変しました。

忌引きということで学校を1週間ほど休みました。

気分的にはそれ以降も行く気がしません。

一番気になっていたのが、父の死の理由を

みんなが知っているのではないかということでした。

父のことは新聞に載ったそうです。

猜疑心でいっぱいになりました。



1日中暗い顔をし、ほとんど誰とも話さず時間が過ぎていきました。

父がいなくなった日から自分が変わっていきました。

いつでも泣きたい気持ちでいっぱいです。

家族に気づかれないように、「コンビニ行ってくる」といって、

途中で散々泣いて、タバコを吸って帰ってくる。そんな日が何日も続きました。

夜も眠れないので夜中にベランダでタバコを吸っていました。

何を考えることもなくぼーっと吸っていました。



お酒を普通に飲み始めたのもそこからです。

高校の運動会のあと、学祭のあとの

打ち上げで飲んだことはあったのですが、

一度たりともおいしいと思ったことはありませんでした。



毎日ウイスキーを少しずつ。

意識がもうろうとしてくるのが、

気が軽くなったのを覚えています。

部屋にはいつもウイスキーのボトルが置いてありました。

昼の時間が早く終わってほしかった。

早く夜中になり、一人の時間が欲しかった。

そして、父への謝罪と、父への怒りと、両方の心をもって、

タバコを吸い、お酒を飲んでいました。



このころから始まっていたのかもしれません。

自分の心の統制のきかなさが。

トラウマのせいで、夜は眠れない、

しょっちゅう父のことを思い出す、

なにも手につかない、いつでも落ち着かない、そんな状態でした。

自分が原因だということを知っているのに、

「自分は被害者だ」という気持ちがわいてくるのです。

一人になること、周囲の人と距離をとること、

それが自分でできることのせいいっぱいのことでした。



現実感の喪失、以前の価値観との相違。

「どんなことになっても命だけは取られない」

ということを言う人がいるが、

簡単にとられてしまうものだと痛感しています。



人生そのものが夢であってほしい。

自分の人生すべてを夢にしてしまいたい。

よく再体験をしてしまいます。

イメージの再生が行われてしまうのです。

テレビの一シーンを見ただけで、

フラッシュバックが起こります。

あの時のこと、

警察の方が布をあげた瞬間のこと。

涙ができてきます。



考えないよう考えないようにしましたが、

寂しさだけが残りました。

トラウマの体験に関連するものを

避けるようになりました。

ホームを歩くときはなるべく中央の方を歩きました。

電車が来ると引き込まれそうになります。

今でもそれは変わっていません。

そして、父の映像がスローモーションで

はっきりと映し出されるからです。

テレビも見ないようにしました。

ひたすら回避を繰り返します。

感覚が麻痺している感じです。



いくら避けていても、

ちょっとしたことで過覚醒してしまします。

神経が過敏になって、

ちょっとしたことにも過剰に反応してしまい、

どこにいても気が休まらない状態です。

いつでも「自分のせいで」が頭から離れません。

時間がたっても決して心は和らがないと思いました。



高校へ行く気はっまたく起こりません。

あの意味のない友人たちの会話、

あのくだらない何時間も行われる授業、

あのクラスの持っている嫌な雰囲気。

すべてが嫌でたまらなくなっていました。

それまで楽しく思っていたことが、

一瞬で自分の気持ちに合わない、

嫌なものに変わってしましました。



しかし、これ以上母をつらくさせたくない、

学校へは通うことにしました。

しかし、学校へ行っても誰とも話さず、

授業も聞かず、休み時間にはすぐに教室を出て

一人になれる場所へ行っていました。

精神的な不登校です。突然世界が変わり、

学校に何の興味もなくなり、

嫌悪感だけがありました。

早くこの場から逃げたいという

気持ちでいっぱいでした。




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by nocotoco | 2018-11-11 07:35 | 私自身のこと | Comments(0)

私自身の心と感情-8

父との対面、別れ

 父が自死する前日、元気な父が私に向かって

「話があるんだけど」と声をかけてきました。

しかし、友人との約束があり、

「帰ってから聞くね」という言葉を残して、

出かけていきました。

家にもどってくると、父は眠っていて、

話をすることができませんでした。

その日は父の「話があるんだ」が最後の言葉でした。



次の日の朝早く、父が悩んでいた

家のことを調べに家を出でました。

父はまだ寝ていました。

驚かせたくて、そのまま出かけました
何の問題もないことを確認し、

早く知らせたくて、

急いで家に戻ると、

母が床に座り込み「お父さんが・・・」

あとの方は何を言っているのか

よく聞き取れなかったのですが、

再び出た言葉ではっきりと、

今起こっている状況を知ることができました。

「お父さんが死んじゃった。

今警察から電話があって、確認してほしいって」



母の言葉がよく理解できずに、

タクシーをよび二人で、

すぐに警察に向かいました。

何故か兄はいません。

父は電車に飛び込んだということでした。

身元確認のために呼ばれていたということを、

その時に初めて知りました。

母と私は警察の方についていき、

安置室まで来ました。

布のかぶせられた何物かに近づいていき、

警察の方が、布の上のほうを持ち上げました。

父の顔が見えたのです。

遺体としておかれていたのでした。



顔に少しだけ傷があるだけで、

眠っているようでした。

母はその場に座り込んでしまい、

私はその場に立ちすくみ、

声を殺して泣いてしまっていました。


父が身を投げた場所は、

私がいつも高校へ行くときに使っている駅でした。

入学式のときに父と二人で降りた駅です。

死の前日「話したいことがあるんだ」、

その言葉をしっかりと受け止めていれば、

遊びに行くのをずらしてでも、

話を聞くべきではなかったか。

そうすれば、こんなことにならなかったのではないか。

死の前日の話、飛び込んだ場所、

すべてが私に通じていました。



体は震え、「すべての原因は自分にある」

という言葉が胸を突き刺しました。

「なぜあの時、なぜ・・・」なぜが

頭の中を回っていました。



父が死の場として選んだ場所、

私へのメッセージのように思えた。

いや、確かにそうだとすぐに考えが変わりました。

遺体は葬儀屋さんが運び出し、

すぐに通夜、告別式の準備に入りました。

あっけないものだと思いました。

それと同時に、自責の念や

なぜ自死しなければいけなかったのかという、

終わりのない「なぜ」がぐるぐると

自分の周りをまわっていました。



死ななければいけないほどの苦しさとは何なのか。

父をそばで見ていて、

全く気が付かなかったのは何故なのか。

それがうつ病というものなのだろうか。

何故父はそのような

病気になってしまったのだろうか。

父は小さいころに両親を亡くし、

苦労して苦労して、自分の会社を興しました。

何故そんな父にうつがやってきたのだろうか。



つらさから、働くことでそれを

払拭しようと頑張りすぎた、

その反動からなのだろうか。

そして一番気になるのが、

父の自分に対する思いは、

どんなものだったのだろうか、ということです。

何故、次男に将来を語ることをしたのだろうか。

鬱がひどい時には「おまえが跡を継げ」という、

調子が悪い時は「おまえは違う仕事を選べ」と言っていました。

父の心の中には何があったのだろうか、

それが今でも頭をかすめることがあります。


Sere.C.R.



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by nocotoco | 2018-11-10 05:41 | 私自身のこと | Comments(0)


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