私自身の心と感情-5

それから何事もなく

父のいない日常が過ぎていきました。

しばらくして父は家に戻り、

再び仕事を始めていました。

思いっきり仕事をして、

思いっきりゴルフなどをして、

思いっきり飲んで、

毎日が楽しそうな父、

そして、突然いなくなる父。



私の心の中に、二人の父がいました。

その境目がどうしてもわかりません。

何が両者の間に線を引いているのか、

その線は何なのか。

小学生の私には全く分からないことでした。

ただ、元気にしている父を

見ることは好きだったと思います。



十歳の時に再び、父はいなくなりました。

また、入院していました。

もうそれについては、

母に聞くことはありませんでした。

父がいなくなるたびに、

不思議な感情が生まれてきました。

しかし、何とも言えない、

言葉にならない感情です。

父がいなくなる、

それが当たり前のようになっていました。



近所の人から

「お父さん最近みかけないねぇ。どうしたの?」

と聞かれるのですが、

それが嫌でしようがなかったことを覚えています。

どう答えていいのかもわからず、

ただ「どこか遠いところに仕事で行ってるんだ」

とだけ答えていました。

近所の人はそれで満足したかのように「そうなんだ」と

一言言って去っていきました。



父がいない家は、大きな笑い声もなくなり、

近所の人が言うように

確かに父がいないことが分かります。

私たち家族は静かな日常を送っていました。

父がいなくなることに慣れてきたせいか、

父がいなくても

特に何も思わなくなっていました。

しかし、外側から見ると、

父がいる、いないで何かが違って見えるのだろう。

ただ、笑い声だけではなく、

見かけないだけではなく、

何かが違うのだろう。



私は、学校では明るく、

友人にも恵まれ楽しく遊び、

とても充実していました。

生活が二重にあるような感じを

もって過ごしていました。

主な時間は学校での生活で、

家での生活は、

そのつなぎのような

時間であったことを覚えています。

母は働いていたので、

家には誰もいません。いわゆる鍵っ子です。

友人と毎日のように遊んでいた。

帰ってくるとランドセルを置くとすぐに出かけ、

野球をしたり、

自宅の前の川で釣りをしたりと、

夕方暗くなるまで遊んでいました。

家で遊ぶときは必ず私の家だった。



一番仲のいい友人は、玄関からでなく、

必ず塀を乗り越えてうちにやってきます。

家の中は私とその友達しかいなかった。

母親は仕事にでかけ家には誰もいません。

友人が家に遊びに来ると、

父親が使っていたゴルフのパターで遊んで、

当時有名なゴルフ選手の真似をして、

二人で大笑いをしていた記憶があります。

ボードゲームをしているときも二人でふざけあい、

やはり大声で笑っていました。

とても居心地のいい時間でした。



ただ、心のどこかに

「父はいない」という思いがありました。

家族が集まると、

一人いないことがはっきり見えてくる。

それが少し嫌だった。

いないことが当たり前になってきてはいるけれど、

空いた椅子は何か気になってしまう。

食事を終え、お風呂に入り、

そして寝る。当たり前のこと。

順番が違う、場所が違う、

それが妙に気になっていました。

慣れていたのではなく、

慣れようとしていたかもしれません。



まだ小学生の小さな子供でも無理をして、

平気な顔をして寂しさを

こらえていたのかもしれません。





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# by nocotoco | 2018-11-07 07:09 | 私自身のこと | Comments(0)

私自身の心と感情-4

父の不思議 

まだ物心がつく前のことだと思います。

私が二歳の時にたった一つ

覚えていることがあります。

父親が突然家からいなくなったのです。

物心がつく前なのに

なぜかそこだけ記憶があります。

1週間くらいだと思います。



そして次のシーンは、

顔が傷だらけになっている父が、

目の前で布団に横たわり眠っているところを、

眺めている自分がいることです。

そのシーンは心に焼き付いています。



今でも理由は全く分かりません。

母は何も言ってくれなかったと思います。

ただ横になって寝ている父を

眺めていた感じだったと思います。

幼少期の記憶はそこだけ浮き出ています。

それ以外の記憶は幼稚園に

入ってからのことしかありません。



かつての記憶とは裏腹に、

毎日とても元気な父親でした。

毎日会社の人と飲んでいるか、

家で飲んでいるかの記憶しかありません。

とにかく豪快な父親でした。

父親は建築の仕事をしていて、

設計して自分で建て、

今でいう工務店のような仕事をしていました。

自分の家を自分で設計し、

そして、自分で作り、その姿を私はずっと見きました。

ただ見ているのが好きだったのです。



時たま父は「これやってみるか」と、

そばで見ている私に声をかけ、

手伝いをさせてくれました。

とても楽しかったことを覚えています。



鉋から出てくる薄い、

透けているような木が出てくるときの、

興奮というか楽しさは今でも忘れていません
木から削りとられ、薄く、

向こうが見えてしまうくらい薄い。

「あぁきれいだなぁ」

その光景が好きでたまらなかったのです。

家は父の力で、どんどんと姿を現し、

私たち家族の希望が

詰まったものに変化していきました。



建設中に借りた家は、

建設中の家のすぐ近くの平屋の一軒家。

それはとても楽しい思い出の一つです。

旅行気分で、毎日その小さな家で楽しんでいました。

お風呂がなかったので、

銭湯もまた楽しいものでした。

とても小さな家でしたから、

家族がぎゅっと詰まって寝ていました。

幼心にとても楽しかったことを覚えています。

家が完成して、貸家住まいから

新しい家に移り住みましたが、

もう少し借家住まいが長くいてもいいな、

と思っていました。



父の仕事は順調に流れ、

自分で会社を興したいと

いつも言っていました。

それが実ったのは私がまだ

6歳のころだったと思います。



父はますます仕事に力を

入れて進んでいきました。

家にいるときは、いつも大きな声で笑い、

そこには、楽しい家族の時間がありました。



父が夜に外にいるときは仕事か、

職人さんたちを連れて

お酒を飲みにいっているかです。

酔っぱらって、ほとんど騙されて買ったようなアクセサリーを、

母にプレゼントといって渡していました。

母はあきれながら怒っていましたが、

うれしそうな顔をしていました。

相変わらず豪快な父でした



そんな父の姿が見えなくなったのは、

私が八歳の時でした。

なぜ家からいなくなったかは分かりません。

豪快だったり、大笑いしたり、

突然いなくなったり、

横になり、静かにしている父、

よく分からない父でした。



いつ戻ってくるのだろうか。

毎日考えていました。

その時も母は何も言ってくれませんでした。

何か月か経ち、父は母に連れられ、

突然帰ってきました。

いつもより少し元気がなかった父でした。

「いったい何をしてきたのだろうか」

私は理由を聞きたくてしかたなかったのですが、

父にも、母にも、

その理由は聞けませんでした。

聞けなかったというより、

聞いてはいけないことのように感じていました。


その場に漂っていた雰囲気が

聞いてはいけないと言っているようでした。

数か月たって、またしても父がいなくなりました。

その時に、母の口から

「お父さんは病気になって、病院にいるの」の一言でした。

「あんな豪快な父親が病気か?身体のどこが悪いのか」

私にはまったくわかりません。

母と一緒に見舞いに行くと、

ベッドに横たわる父がいました。

2歳のころの記憶が蘇ります。

しかし、顔には傷はありません。



少しすると父は目を覚まし、

ベッドの上で起き上がり、

母といろいろと話をしていましたが、

その意味は分からず、

私の口からは言葉が出てきませんでした。

何を話せばいいのか、全くわからない状態で、

父が何故ここにいるのかもわからないまま、

私には固まってずっと立っていました。



結局その日は父と一言も言葉を交わさずに

家に帰ることになりました。

なぜ、一言も話そうとしなかったのだろうか。

今から思えば「大丈夫?」くらいの

声かけてもよさそうなものなのに。

家に着いてからも母は

父について何も話しませんでした。



いったい何が起こっているのか

全く分からりません。

いったい父の病気は何なのか。

なぜ、母は何も言わないのだろうか。

なぜ、こうも繰り返されるのだろうか。

「なぜ」が再び続いていきます。


Sere.C.R.




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# by nocotoco | 2018-11-06 05:31 | 私自身のこと | Comments(0)

私自身の心と感情-3

部活も辞めました。

ただひたすら一人になりたかった。

何に対しても感覚がなくなっていき、

どこかへ消え入りそうな、

そうなってしまいたい気持ちでいっぱいでした。



普段、道を歩いていても、思い出します。

テレビを見ていても、

焦点はブラウン管の奥のほうにあります。

眠っているのか、

起きているのかよくわかりません。



床に就くと幾度となく父が現れます。

起きているときも同じでした。幾度となく現れます。

いつも同じ場面です。

父の顔を覆っていた布。

そして、次の瞬間、目を閉じている父の顔が。



時間が経てば忘れる、

新しい体験によって救われる、

一人で対処できる、

すべてが違っていました。

自死のことを何度も思い出す、

ショックによって社会生活が困難になっていく、

自信を失い自分の殻に閉じこもる。



真っ白い世界に一人たたずんでいるような、

何とも言えない感覚です。

唯一思ったことは、学校へは行かなくてはいけない、

それだけでした。

なぜか、そう思っていました。



友人に会うことが怖い。しかし、行かなくては。

無表情の顔で電車に乗り、

無表情のまま歩き、

無表情のまま教室入り、

「大丈夫か?」と友人から声を掛けられ、

薄笑いを浮かべ「ああ」とだけ答える。



意味のない時間が過ぎていく。

なぜ、自分がここにいるのか。

学校にいる意味が見いだせなかった。

意味のない授業、取るに足らない周りの会話、

無駄な時間、意味のない時間。



一人になりたいと同時に、

一人でいることが怖い。

でも、話したくない、考えたくない。

何しに来ているかわからないまま、

時間が過ぎるのを待っている。



ある日、仲のいい友人から

「おまえ暗いなぁ」と言われました。

どう解釈していいのかもわからなかった。

事実そうだったと思います。



励ましなのか、知っているのか、

判断ができませんでした。

できないというよりは、

そういう行為自体に

心が動かなかったのだと思います。



毎日、毎日同じことが繰り返されます。

壊れてしまったような心だけで

生きている感じがしていました。



自分への自身や幸福を追求する意欲を失い、

人生を楽しんではいけないと

自己を規制してしまっている感じです。

何をすれば心は動いてくれるのか、

全く分からない状態。



一つだけ心が動いていたのが、

徹底的に父を排除していたことです。

心に現れる父を、

消そう消そうともがいていました。

「出てこないでくれ」どうやって

自分の気持ちを父に伝えればよいのか。



声に出しても、言葉は届かず、

父は目の前に現れます。

白い布にくるまれて。

次の瞬間、布がめくられる。

同じことの繰り返し。



聴くことができなかった最後の一言。

今でも痛烈に心に刺さっています。

消えない「どうして」が連続していきます。

「どうして」「なぜ」。






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# by nocotoco | 2018-11-05 06:43 | 私自身のこと | Comments(0)


不登校、ひきこもり、子どもの声を引き出します。


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